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書評要約「嫌われる勇気」3/3 - 共同体感覚と他者貢献

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アドラー心理学で話題の書「嫌われる勇気」を要約してまとめたい。
三つの記事に分けて掲載しています。
それでは第三回目「共同体感覚と他者貢献」を。

共同体感覚

・他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。
・アドラーは共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけではなく、
 たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、
 時間軸においては過去から未来までも含まれるし、
 さらには動植物や無生物までも含まれるとしています。

・われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。
・関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。

自己中心的

・「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、
 「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

所属感

・所属感とはただそこにいるだけで得られるものではなく、
 共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるものだと考えます。
・「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、
 「私はこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。
 それが共同体へのコミットです。
・所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものなのです。

ほめてはいけないし、叱ってもいけない。

・ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。
・人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成してくからです。
・アドラー心理学が賞罰教育を強く否定していのは、それが子供を操作するためだからです。
・あらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。
・横の関係に基づく援助のことを、「勇気づけ」と呼ぶ。
・能力の有無ではなく、純粋に課題に立ち向かう勇気がくじかれていることが問題。
・いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということ
・人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。
・人は自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる
・人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。
・自らの主観によって「わたしは他社に貢献できている」と思えること
・他社のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見て行きましょう
・誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。
 わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。
・誰かひとりでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかない内に、
 あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。

肯定的なあきらめ

・変えられるものと変えられらないものを見極めるのです。
・あきらめという言葉には、元来「明らかに見る」という意味があります。
 物事ん真理をしっかり見定めること、それがあきらめなのです。
・他者を信じるにあたって、いっっさいの条件をつけないことです。
・あなたがその人の関係を良くしたいと思わないのなら、
 はさみで立ちきてしまってもかまわない。

他者貢献

・他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、
 「社会に過度に適応した人」であるとして、警鈴をならしているくらいです。
・他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、
 むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。
・他者貢献をしていくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくても、
 「わたしは誰かのやくに立っている」という主観的な感覚を、
 すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。
・承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。

ワーカホリックは人生の嘘

・神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかとみんな、いつも、すべてといった言葉を使います。
・どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。
・仕事を口実に、他の責任を回避しようとしている。
・行為のレベルでしか、自分の価値を認めることができないと、いつか深刻なダメージを受ける。
・もし、ほんとうに貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなります。
 わざわざ他者から認めてもらうまでもなく、
 「わたしは誰かの役に立っている」と実感できているのですから。
 つまり、承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚をもてておらず、
 自己受容や他者信頼、他者貢献ができていないのです。
・問題行動に走る子供たちは、健全な努力を回避したまま、他者の注目を集めようとします。
 アドラー心理学ではこれを、「安直な優越性の追求」と呼びます。
・普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と
 同義でとらえているのでしょう。
 普通であることは、無能なのではありません。
 わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。

人生とは、連続する刹那である。

・われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。
・それを知らない大人たちは、若者に「線」の人生を押し付けようとします。
 いい大学、大きな企業、安定した家庭、そんなレールに乗ることが幸福なのだと。
 でも、人生に線などありえません。
・計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。
・目的地に到達せんとする人生は「キーネーシス的(動的)な人生」
 ダンスを踊るような人生は「エネルゲイア的(現実活動的)な人生」
・エネルゲイア的とは、「過程そのものを、結果と見なすような動き」と考えてもいいでしょう。
 ダンスを踊ることもそうですし、旅などもそうです。
・目的が登頂ではなく、登山そのものであれば、エネルゲイア的ということができます。
 結果として山頂にたどり着くかどうかは関係ないわけです。
・人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。
 あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。
 過去にどんなことがあったかなど、、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、
 未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
 「いま、ここ」を真剣に生きていいたら、そんな言葉など出てこない。
・目標など、なくてもいいのです。「いま、ここ」を真剣に生きること、それ自体がダンスなのです。
 深刻になってはいけません。真剣であることと、深刻であることを取り違えないでください。
・エネルゲイア的視点に立ったとき、人生は常に完結しているのです。

人生における最大の嘘

・それは「いま、ここ」を真剣に生きないことです。
 過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、
 なにか見えたつもりになることです。
 

人生の意味

・一般的な人生の意味はない
・われわれは困難に見舞われたときこそ前を見て、
 「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです。
・人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。
・あなたはご自身の人生に迷っておられる。なぜ迷っているか。
 それはあなたが「自由」を選ぼうとしているからです。
 すなわち、他者から嫌われることを怖れず、他者の人生を生きない、自分だけの道を。

他者貢献

・旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも「導きの星」が必要になる。
・「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい
 嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

今を生きる

・刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。
 過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。
 誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。
 踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。
・私が変われば、世界が変わる。わたし以外の誰も世界を変えてくれない。


第一回「目的論」はこちら
書評要約「嫌われる勇気」1/3 - 目的論
第二回「承認欲求の否定」はこちら
書評要約「嫌われる勇気」2/3 - 承認欲求の否定


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